海に浮かべる

とりあえずブログ始めてみることにした。きっかけは東京に来てから出会った友人が始めたのを聞いて興味を持ったからだ。それを聞いたときは今までブログについてよく考えたことがなかったから不思議な感じがした。僕は今年で25歳になる年で、SNSが普及したど真ん中の世代なのでブログをしている人はたぶん周りにいなかった。身近にいなかったのもかもしれないが。ブログは日記みたいなもので日記をみんなに見せるのは少し恥ずかしい感じがしていたと思う。

 

 

 

ブログを始めるきっかけになった友人の慎太について少し書く。彼は映画館のバイト先(最近僕は辞めた)で出会って歳は僕の2つ下になる。今年の春大学を卒業して、とりあえずは就職せずバイトをしながら映画を作ったりするようだ。今度彼の映画に出演する予定だ。最近千歳烏山に引っ越してきて、歩いて5分少しくらいの距離になったので家を行き来したりするのだが、この前うちに来たときに、会ったのが1週間ぶりくらいだったのだが、SNSをほぼやっていない僕が会ってない期間にちゃんと生きてて何してるか心配になると言っていた。彼は僕にいろいろ質問したり自分のことを話してくれる。最近何してたとか何が好きとか何でそう思うとか。曝け出すことを怖がらず、たくさん僕に話して聞いてくれる。彼は友人についての全てを知りえないと分かっていながら知ろうとしてくれる。そう考えるとブログがとても素敵なことに思えてきた。便りということも込めてとにかく始めることにした。

 

 

 

最近読んだ俵万智の「サラダ記念日」に

書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れ出す

という短歌があった。時間は川みたいに絶え間なく流れ続けている。戻りもしないし止まりもしない。でも時が流れ出すという感覚は分かる気がした。誰かとの間に流れる時間が止まってしまっている、そういう種類の時間があるということ。

 

 

 

その歌を読んでドイツにいる友達に手紙を書こうと思った。僕はサッカーが好きなのとヨーロッパがなんかかっこいいという安直な理由で大学時代にドイツ語を専攻していてもう4年くらい前になるがドイツに1年間留学していた。手紙を書こうと思ったときに、頭に浮かんだのは、留学中に勉強よりも夢中になって通っていた地元のサッカークラブで1番お世話になったダニエル・ミュラーという人で彼に書くことにした。彼はみんなからシュムーリーと呼ばれていて、僕もそう呼んでいたが理由はよく分からない。とりあえず今の自分のことについて書いた。住んでる場所やバイトのことや親や友達のこと。コロナウイルスでそっちは大丈夫なのかとか、子供も元気なのかとか書いた。

 

 

彼は僕よりも2回りも歳上で、お父さんと成人した子供くらい離れている。一度離婚しているが今は別の人と再婚して、子供2人と奥さんと家族4人で暮らしている。子供はどちらも男の子で、1人は前の奥さんとの子で、もう1人は今の奥さんとの子供だ。2人とも当時はまだ小学校に上がり立てくらいの歳だった。彼の家と僕の寮が近くて遠征のときは車で送り迎えしてくれたり、よく家に呼んでくれて夜ご飯を御馳走してもらった。普段は穏やかで優しいが、試合や練習になると熱くなって喧嘩っ早くなる。彼はディフェンダーでキャプテンだったがよく相手のフォワードとやり合ってカードを貰っていた。セルヒオ・ラモスみたいな感じだ。彼とは頻繁に会っていたが、いつも会う度に力強い握手とハグをしてくれて、別れ際にも握手とハグをしてから、最後に必ず“Alte Rakete"(直訳すると"古いロケット")というよく分からない僕らだけの合言葉を唱えていた。それがどんな意味なのか聞いたが、とにかくロケットなんだよ、気合いが入るだろうみたいなことを言っていた気がするし、正直あんまり覚えていない。

 

 

 ドイツでそういうことわざがあるのかもしれないと思い調べてみたが、特に分からなかった。ただ、ロケットというのは人工衛星や宇宙船を目的地まで運ぶためのもので、役目を終えると切り離されて、あとは地球に落っこちてきて大気圏で燃え尽きてしまうか、宇宙空間を漂う。古いロケットというのはやがてなくなるけど、何かを運ぶものらしい。彼が言っていたこととは全く違う意味かもしれないが(むしろ意味なんてない合言葉かもしれないが)彼から何かを運ばれた気がするのでそう思うことにした。

 

 

 

彼と最後に会ったのはもう4年前だ。彼について知っていることと知らないことがたくさんあるし、忘れてしまったこともある。彼の顔や声が上手く思い出せなくなっている。この4年間何があっただろうか。何か変わっただろうか。彼についてもっと知りたいし僕のことも知ってほしいと思う。

 

 

住所は別れ際にもらったアルバムに書いてあったのを覚えていたのでそれを見た。ここで本当に合ってるか不安だったのでGoogle  mapで検索したら、近くに僕の寮もあったし、馴染みのある通りの名前もあって確かにここだったと安心した。地図を見ていたらGertraudenfriedhof(ゲトラウデンフリードホフ)というやたら長くて覚えづらいトラム(路面電車)の駅が出てきて、学校や街の中心部に行くときによくここから乗ったことを思い出した。地図の上の方にFrohe Zukunft(フローエ ツークンフト)という駅も出てきて、これは僕がよく使っていた長くて覚えづらい駅のひとつ先でこの路線の終点にあたる駅になる。ほぼ使ったことはないがこっちのほうがよく覚えていてた。何故かというと、学校から帰るときにいつもフローエツークンフト行きの電車に乗って帰っていたので電光掲示板などでよく見ていた。4年前はは気に留めたこともなかったがフローエツークンフトを日本語に直訳すると楽しい未来になることに気付いた。つまり僕は毎日"楽しい未来"行きの電車に乗って帰っていたのだ。世紀の大発見をしたみたいに嬉しくなって急いで手紙を出しに行った。

 

 

 

郵便局員にドイツだとどのくらいかかるか聞いたら、いつもなら1週間程だがコロナウイルスの影響でどうなるか分からないと言っていた。自分の大事な人達が無事だからか、どこかでまだ大丈夫という意識があったけど、見えない敵が日常に介入しているのを実感した。けどこれまでも見えないところでは、今この瞬間もどこかで戦争があり、災害があり、貧困や障害で苦しんでいる人もいる。それが日常で僕らはそういう世界に生きていたはずだ。書きながらマヒトゥ・ザ・ピーポーのツイートを思い出した。

誰一人として観察者などいない。例外なく誰もが当事者なんだ。

この世界の中にいる。あらゆるものと関係してる。その上で、信じてる。

どこかで亡くなった誰かや、どこかで傷ついたり苦しんでいる誰かは、誰かにとっての大事な人で、それは自分の大事な人であった可能性もあるし、自分だった可能性もある。世界は繋がっている。この世界の中にいて、当事者としての想像力を持つことが今の僕の正しさだ。

 

 

少し前に、今度一緒に映画を作る友達たち(尚生さんと翔ちゃん)と慎太の家で集まったときに、会話の流れは覚えてないが(たぶん民話とか震災の話をしてたと思う)慎太が「昔、つまり僕らが生まれるずっと前のことって想像しづらいけど、自分のお父さんのお父さん(つまり祖父)、そのまたお父さんのお父さんって考えていくと想像しやすい」みたいな事を言っていて、その時はたしかにそうだなあとぼんやり考えていたが、手紙を出したときに少し実感した。こうやって昔の人も誰かもしくは鳥とか動物に託して、今は会えない遠くの人に無事に届けと願っていたんだろうと思った。お父さんは第一回東京オリンピックの翌年に生まれ、おじいちゃん(僕が生まれる前に亡くなっているので会ったことはない)も大正時代に生まれて戦争を生き抜いた人だけど前より昔を想像できるような気がする。

 

 

 

とりあえず最近あったことを書いてみたがこんなに長くなるとは思わなかった。まとまりもなくこれでいいのか不安だし、どのくらい続けるかも分からない。僕は昔から作文やレポートを書くのが人1番遅くていつも苦痛だった。でも書くことは嫌いじゃないと思う。自分のペースで、書きたいと思ったら書くくらいの気持ちで出来ればと思う。

 

 

 

手紙は特定の誰かへ送る個人的なものだけど、僕は日々起きたことやなにか感じた個人的なことを特定の誰かではない人に向けて書く。それは特定の誰かになる。僕は書いた手紙を瓶に入れて海に浮かべる。いつかのあなたへ見つけてもらうことを願って。このブログがそんな風になればいいと思う。